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神話の地・美保関

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北に日本海、南には穏やかな美保湾と中海。三方を海に囲まれている美保関は、豊かな海の恵みをいっぱいに受けた、美しい半島の町。
実はこの島こそがかつて、国引きの神話によって誕生し、その後も神々にまつわる様々な伝説が残るスポットだということをご存知でしょうか?

その歴史をたどれば遠く、数千年も前に遡ります。


古代の壮大なドラマの地・ミホ

この地に残る国引き神話。
美保神社のある島根県松江市美保関町の地名は、これらの出雲神話に由来しています。
島根半島は神が造った聖地であり、東端の美保関は古くは大いなる聖なる岬を意味する「御大之御崎(みおのみさき)」と呼ばれていました。

国引き神話を少しお話すると・・・。

「出雲の一番始めの神「八束水臣津野命」は、「八雲立つ出雲の国は、小さく若く、未完成な国だなぁ」と嘆き 、新羅(朝鮮半島の古代国)や越乃国(新潟県地方)で見つけた「国のあまり」を綱で「国来、国来“くにこ、くにこ”」と言って引っ張ってきたそうです。
それを縫い合わせてできたのが今の「美保関」。ちなみにその時使った「綱」が、今の「弓ヶ浜(ゆみがはま)」、杭にした場所こそが神の山「大山(だいせん)」であるとも伝えられているのです。


祭り

美保関に伝わる二大神事のルーツ


美保関では、今もなお地元によって受け継がれる2つの神事があります。

4月7日の「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」。
12月3日の「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」。

これは出雲神話「国譲り」にゆかりの船神事で、これらを少しお話すると・・・。

美保神社に祭られているのは、えびすさまで親しまれる事代主命(コトシロヌシノミコト)。
出雲大社の祭神、大国主命(オオクニヌシノミコト)の第1の子でもあるのですが、その昔、出雲国を治めて居られた大国主命のもとへ天照大御神(アマテラスオオミノカミ)のお使いとしてタケミカヅチの神が降臨され、国譲りの交渉をされました。
大国主命は急いで美保関の事代主命のもとへ速船を出し、国譲りの相談をします。
そこで事代主命は、国譲りを承諾。自らは海中にお隠れになったという故事にちなんだお祭りこそが先ほど紹介した2つの神事。

「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」と「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」は、この一連の神々のやりとりを再現した一種のドラマでもあるのですね。


えびす信仰と鯛 

美保神社に祀られる「えびすさま(事代主命)」。
この社は、なんと全国に3385社ある「えびす神社」の総本社でもあるのですが、この美保関という地には、「えびす信仰」を伝える様々な神話、そして名所が今もなお語り継がれています。
ゑびす信仰は、本来漁村で「海幸の神」として信仰されたもの。
その起源になった地、コトシロヌシが鯛釣りをされた沖の御前、地の御前(いずれも島で美保神社の飛地境内)があり、4~5月にかけて産卵のために藻の生えた浅瀬(美保湾)に集まってきた鯛の群れは、より鮮やかな朱色になります。
室町時代以降、鯛とゑびす様が一体化したのは、朱色に輝く鯛が「海に浮かぶ太陽」に見立てられ「海幸の神」であるえびす様と結びついたと考えられます。

えびす信仰は中世以降、七福神信仰と合体して現世御利益を求める「市場(いちば)、繁盛の神様」となって、上方からの商業文化の波に乗って全国に広まってゆきました。
日本を代表する魚といえば鯛。
祝い事にはかかせないめでたい魚として万人に愛されているという訳なのですね。


えびす様のにわとり嫌い

美保神社の氏子は伝統的に鶏肉や鶏卵を食べないといわれてきました。

それにはこんなわけがあるのをご存知ですか?

美保神社の御祭神であるえびす様は、夜ごと中海を渡り、ミゾクイ姫のもとにお通いになっていました。
ある日、一番鶏が時間を間違えて、まだ世も明けないうちにトキの声をあげます。
あわてたえびす様は船を漕いで戻られる途中、櫂を流してしまいます。
仕方なく左足を櫂の代わりにして漕いでいるとワニ(サメ)に足をかじられてしまいました。
えびす様がいつも片足を曲げているのは、この時の傷のせいとも。
やっとの思いで美保関までたどり着いたえびす様の耳に、今度は正確なトキの声が聞こえてきました。
怒ったえびす様は以来、鶏を忌むものとされたといわれています。
美保関の人々の暮らしの中には、今もこういう神話が生きていることから、こうした伝説が語り継がれているのです。


えびす様は鳴り物(楽器)好き

古来、「えびす様は鳴り物がお好き」との信仰があり、海上安全はじめ諸願成就のために夥しい数の楽器が神社に奉納され、この内846点は現在、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
中には、日本最古のオルゴールとか初代荻江露友が所有していた三味線とかの名器、珍品が数多く含まれております。
平成4年には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を百年ぶりに復活させ、一流の演奏家と神が対峠しながら奉納演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が行われています。

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